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富山大学ギターマンドリンクラブの執行部3年生の時、第11回定演だった。当時の顧問の故中田照二先生(当時:日本ギター連盟理事)も、社会人マンドリンクラブの誕生を熱望されておられました。

卒業後、私とN氏が仕事の関係で近所になり、あと2人が賛同して4人が集まって、N氏宅で練習開始したのが正式?な始まりだったかも。現役生の部室(日曜午前あいていた)を拝借したり、先生のご協力で練習場所を南富山に確保できるコトになって、活動は本格化しました。以後、ギタマン卒業生を入れていって少しずつ人が増えて行きました。

当時は「ゾリステン」でした。当然指揮者無しでしたが、人が増えるに伴い次第に音楽的に無理を感じるようになり、指揮者を立てたのでした。大きくなるには致し方ない選択だったと思います。それを機会に合奏団「アンサンブル」に新生となったのです。人が増え、女性も入り、当然カップルも数組誕生しています。1985年前後にはそちらをメインにしたヤカラも居たような・・・(その後、私もでしたが)。

音楽的には、創立時からオリジナルをメインに据えていて、曲の要求するところを真摯な洞察力で見抜き、あるべき姿を徹底的に追究しようとする並々ならぬ意識の高さがありました(意識の高さだけは当時、オケラ、ブラス、合唱以上だったとも・・・)。これも30年の間に色々な変遷を遂げていますが、今は、【自然さと歌心の追究】のひと言に凝縮されるカモです。これはジャンルを問いません、オリジナルもクラシックもポピュラーも、、演歌に至るまで同じ事です。

いずれにしろ、社会人として働きだすと、無味乾燥なガマンの時代が数年続く訳ですが、それに潤いを与えてくれた活動でした。始めは毎週練習でしたが、きつくなり、月2回にしたら少なすぎ、で、月3回練習が基本的な活動になっています。

【文責 今村】

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